タイ文学を読む

| No Comments | No TrackBacks
タイ文学と言っても実に様々なジャンルがあります。詩、劇、小説、歴史、宗教等といった具合です。そして、それぞれのジャンルで莫大な数の本が出版されているというのは日本と同じかと思います。例えばタイ語小説だけに限定してもこんなにたくさんの本があります。
 
ですので、タイ文学に興味があってもどの本から手を付けて良いのか分からないという方は意外に多いのではないかと思います。かく言う私も、「文学」と名の付くような本はこれまで殆ど読んでおりませんでした。 
 
仮にもタイ語翻訳家を謳う私がこれではいけないと思い、さっそく手にしたのが前回の記事投稿時に映画として紹介させて頂いた「東北タイの子(ルークイサーン)」です。以前本屋に立ち寄った際に195パーツで売られていたのを見て買いました。

この本は、1976年に出版されたカムプーン・ブンタウィーという人の書いた小説で、1979年に東南アジア文学賞(S.E.A Write賞)を授賞し、1982年には映画化されております。また今でもタイ国教育省より高校で使う副読本(ナンスー・アーン・ノーク・ウェラー)として指定されているため、この本のことを知らないタイ人は少ないのではないかと思います。
 
映画バージョンの方は最初から最後まで、これでもかというくらいにイサーン方言(=ラオス語)のオンパレードですが、小説の方では、多少方言の使用が抑えられているようです。
 
今回はこの「東北タイの子」の一部を抜粋して翻訳してみます。この本は、既に星野龍夫さんという方が30年も前に翻訳されており、日本語でも出版されているのですが、未だに私はその翻訳本を読んだことがないので、下記翻訳は全くの自己流となります。
 
 

ありふれた風景.jpgのサムネール画像  

 

 

 

"ทำไมแล้งนานเหลือเกิน" คนหนึ่งถาม

「お坊様、今年の日照りはなしてこったら長く続くんだべか?」と一人の者が聞いた。

 

 

"ไม่รู้สิ บางคนว่าผู้หญิงบ้านเราทำผิด"หลวงพ่อว่าแล้วยิ้ม

「そうだな~、わしらの村の女どもが悪さをしておるからだという者もおるぞ」

壮年僧はそう言って笑みを浮かべた。

 

 

"ผิดยังไง" คนเก่าถามดังๆ

「どだな悪さばしちゅうのだんずな?」さっきの者が大きな声で質問した。

 

 

"บอกแล้วจะเลิกทำไหม หลวงพ่อขอ"

「それを言ったらわしの言うことをきいて、もうやらないな?」

 

 

"มีเสียงผูดพร้อมกันว่า"เลิกอีหลี"

「やんね」一同は声をそろえた。

 

 

"ก็พวกผู้หญิงมีลูกมีผัวแล้วพากันยืนเยี่ยวแทบทุกคนนี่"

「子供、旦那のいる女のほとんどが立ったまま小便してるっつうことだわさ」

 

 

"จริงไหมพ่อ" คูนสงสัยเพราะไม่เคยเห็นแม่ยืนอย่างว่า

「おどちゃん、ほんどに?」クーンは首をかしげた。自分の母親が立ってそんなことをやっているところを見たことがなかったからである。

 

 

"จริงแหละ แม่ของลูกก็เคย แต่พ่อห้ามแล้ว"

「んだ。おめのおがちゃんも昔はそうやってたんだべ、おどちゃんがやめさせたんだ」

 

 

ต่อไปก็เป็นทีของคูน พ่อหิ้วปิ่นโตเข้าไปประเคนหลวงพ่อแล้วก้มกราบ คูนกราบตามด้วยใจเต้นแรง เมื่อพ่อเล่าให้หลวงพ่อฟังเรื่องคูนจะเข้าโรงเรียนและบอกวันเดือนปีเกิดของคูนให้ฟัง แกก็พูดดังๆว่า

クーンの番が回ってきた。クーンの父親は、円筒形の弁当箱を壮年僧に差し出し、ひれ伏して拝んだ。クーンは心臓をドキドキさせながらも父親にならってひれ伏した。そしてクーンがこれから入学すること、クーンの生年月日を父親が壮年僧に伝えると、壮年僧は大きな声でこう言った。

 

 

"ดีแล้ว วันพฤหสหน้าให้พามาโรงเรียน ดูเด็กน้อยคนนี้จะได้ดีค้าขายก็ดี ถ้าเรียนไปสูงๆจะได้เป็นนายคน"

「よし分かった!来週の木曜日、学校に連れて来なさい。見た感じこの子は立派になりそうじゃ。商売をやっても成功するだろうし、教養を積めば偉い人になるじゃろう」

 

 

แล้วหลวงพ่อเคนหันมาทางคูน

それからケン壮年僧はクーンの方を振り向いた。

 

 

"ดูหน้าตาฃื่อๆเหมือนม้าของหมอลำ ชื่ออะไรนะ บักหำน้อย"

「まるで"モーラムの馬"のように無邪気な顔をしておるな。坊や、名は何だ?」

 

 

"ชื่อคูน"คูนพูดดังๆ

「クーンです!」クーンは大きな声で言った。

 

 

"เป็นนักเรียนแล้ว อย่าเอากาบหมากใส่ในกางเกงรองก้นมานะ"

「檳檳樹(びんろうじゅ)の皮をズボンのお尻のとこに入れて学校にきちゃダメだぞ」

 

 

"ครับ"

「はい」

 

 

"รู้ไหมว่า ครูที่โรงเรียนมีกี่คน"

「この学校に先生が何人いるか知っているかい?」

 

 

"สองคน"

「二人です。」

 

 

"สามทั้งหลวงพ่อ แต่หลวงพ่อไม่มีเงินเดือน จำไว้นะ"

「わしを入れて三人じゃが僧侶には給料は出ないんじゃ、覚えておくのじゃぞ」

 

 

"ครับ"

「はい」

 

 

"รักใครมากที่สุดในบ้านนี้"

「家族の中で誰のことが一番好きぞや?」

 

 

"พ่อแม่ บุญหลายและยี่สุ่น"

「お父さん、お母さん、ブンラーイ、それからイースンです」

 

 

"เกลียดใคร เกลียดอะไรมากที่สุด"

「誰が、または何が一番嫌いかな?」

 

 

คูนนึกอะไรไม่ออกจึงหันหน้าออกข้างนอก เห็นแต่แผ่นฟ้าสีครามใสๆกับดวงตะวันสีแดงแกมเหลือง จึงหันมาบอกว่า

クーンは嫌いなものが何も思いつかなかったので外を向いたが、そこには透明なインディゴ色の空、そして赤と黄色の混じった太陽しか見えなかったのでこう言った。

 

 

"เกลียดฟ้าครับ"

「空が嫌いです」

 

 

"ทำไม"

「なぜじゃ?」

         

 

"มันไม่ให้ฝนตก มันให้แต่แล้ง"

「日照りばっかりで、雨を降らせてくれないからです」

 

 

"ลุกขึ้นยืน หันกันมา กอดอก"

「立ち上がってこっちを向き腕を組みなさい」

 

 

คูนกลัวตัวสั่นลุกยืนกอดอก แล้วไม้เรียวของหลวงพ่อก็กระทบก้นคูนทีหนึ่ง จนรู้สึกเสียวแปลบๆ คูนน้ำตาไหลแต่ไม่ยอมร้อง

クーンは怖さで体が震えた。クーンが立ち上がって腕を組むと壮年僧の棒がお尻に命中し、ヒリヒリとする痛みを感じた。涙が流れたが、クーンが声を出して泣くことはなかった。

 

 

"นั่งลง เก่งมาก อย่าร้อง กลืนน้ำตาลงไปเสีย"

「座りなさい。いい子だ。泣いてはダメだぞ。涙をこらえなさい」

 

 

คูนกลืนน้ำตาที่ไหลลงปากแล้วนั่งพับเพียบ

クーンは口元にまで流れてきた涙をのみ込み、足を横に流して座った。

 

 

"จำไว้ให้ดี จะบอกให้ ต่อไปอย่าเกลียดฟ้า ฟ้าไม่เคยลงโทษใคร จำได้ไหม"

「いいか、覚えておくんじゃぞ。これから空を嫌ってはいかん。空は誰のことを責めることもないのじゃ。忘れてはダメじゃぞ」

 

 

"ครับ"

「はい」

 

 

"เอ้าว่าตามหลวงพ่อ"

「ワシの言う通りに言ってみなさい」

 

 

แล้วหลวงพ่อว่านำ คูนจึงว่าตามหลวงพ่อดังๆ

壮年僧が先に言い、クーンは同じ言葉を繰り返した

 

 

"ต่อไปผมจะไม่โทษฟ้า ฟ้าไม่เคยให้โทษใคร"

「ぼくは二度と空の悪口を言いません。空は誰を責めることもないのです」

          

 
 
 
 
<解説>
 
「東北タイの子(ルークイサーン)」の作者カムプーン・ブンタウィーは、1927年、ラオス国境にほど近い現在のヤソートーン県で生まれ、育ちました。小さい頃の本人のあだ名がクーンであったことから、カムプーン氏はこの著書の中でクーン少年を主人公として自身の体験を描いております。
 
経済成長の著しいタイにおいて今でも貧困の代名詞のように扱われるイサーン(タイ東北部)は、タイ中央部ヂャオプラヤー川流域とは違い、土地がやせているため、干ばつの被害が起きやすいのですが、クーン少年がイサーンの赤茶けた大地の上で幼少期を過ごした1930年代には、今よりはるかにタフな生活を余儀なくされていたのではないかと思います。
 
カムプーン氏自身がこの本の前書きの中で「当時の干ばつと飢えを経験した自分の家族と近所の友人たちの。。。。」と書いている通り、この本に描かれているのは、干ばつにも負けずく自然と共存しながらたくましく生きていこうとする田舎の人たちの姿です。
 
私はこの本を読んで、「いいか、覚えておくんじゃぞ。これから空を嫌ってはいかん、空は誰のことを責めることもないのじゃ」という部分に作者の思想が詰まっているように感じます。実際この壮年僧の台詞は、この物語の最後のシーンにも思い出として出てきます。
 
「空は自然の象徴であり、その自然は誰に対しても平等であるのだからイサーンの大地で生まれたことを恨んだりしてはいけない。人は生まれた場所で、その環境に適応しながら一生懸命生きる術を身に付けていけば良いのだ」というのがこの本のテーマではないかと思います。
 
そしてそのテーマが普遍的であるからこそ本作品は幾つかの文学賞を受賞し、カムプーン氏もタイ国
の国家芸術家にまで認定されたのだと思います。
 
ところで、今から70年も前の田舎の生活を描いたこの作品を読んだ現在のタイの高校生たちはどのような感想を持つのでしょうか?そんなことがふと気になったのでインターネット上で彼等の書き込みを探してみました。読んでみると、こんなことが書かれていました。なんとも頼もしい限りです。
 
〇 「東北タイの子」を読んで悲しくなった。この作品の中で、先生が子供たちに田園風景の絵を
  描かせるシーンがあるが、そこで先生が見本として描いた絵の通りに描かなかった生徒が叱ら
  れている。(この生徒は自分の家の田んぼには蟻塚があるとしてそれを付け足して書いただけ
  なのだが、先生の見本通りに描かなかったとして叱られ書き直しを命じられる)このような教育
  は、結果として言われた通りにしか行動の出来ない、自分で考えることをしない国民性を生み
  出してきたのではないか。そして、それは国家の発展の妨げとなっている。このように、「東
  北タイの子」の中にタイにおける教育の問題点が見える。また本に出てくる時代に子供であっ
  た人たちが、今は大きくなって社会に影響力のある立場となっている。もし彼等が古い考えに
  固執するようであればタイの未来は明るくない。そろそろ国家の中枢にいる方々に言われたこと
  をやるだけではなく、自分で考えるという教育の重要性について考えてもらいたいものだ。
 
〇 (壮年僧の言った)「まるで"モーラムの馬"のように無邪気な顔をしておるな」という台詞に
  「東北タイの子」の時代の理想的な「良い子」像がうかがい知れる。しかし今の時代は従
  順で聞き分けが良いということより、「自分をもつ」ということの方が大事である。ところが、
  年配の方の中には未だに古い考えを捨てられずにこのことを受け入れられない人もいる。
 
〇 タイ社会の問題は、枠からはみ出して行動することが許されないことである。枠からはみ出すと
  すぐに制裁を受けてしまう。
 
〇 「東北タイの子」を読んでこの世の中にはこんなにも色んな食べ物があるということを知った。
 
イサーンの子供たち_Yuta_Akakuma .jpg 
 
ところで、タイ文学というと「東北タイの子」の他、「メナムの残照」、「田舎の教師」、「タイからの手紙」等が有名なのではないかと思いますが、実は日本語化されているものだけでも、まだまだたくさんあるんですね。大同生命国際文化基金というところが出している本だけでもこんなにたくさんあるんですね。
 
また、タイ文学はやはりタイ語で読みたいという方には、タイ研究基金というタイ首相府の独立機関の協力で10年程前に選出された「タイ人が読むべき良書100冊」の中から選べばいいのではないでしょうか。ただ、この100冊に関してはラマ5世時代の1865年から1976年までの間に書かれた本が対象になっており、最近の本は入っておりません。
 
 

No TrackBacks

TrackBack URL: http://www.thaigohonyaku.com/mtos/mt-tb.cgi/4

Leave a comment

March 2010

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31